いらっしゃいませ!
琵琶法師とは何者だったのでしょう。
『職人歌合画本』(部分)
琵琶法師とは?
平家物語などの弾き語りが有名な琵琶法師
琵琶を弾くのは盲目の僧侶や身分の低い僧侶で、物語の弾き語りや演奏で日銭を稼いでいたと言われています。
蝉丸や耳なし芳一もこの琵琶法師です。
貧しい芸能者だった?
前述の説明を見ると、物語や演奏で日銭を稼いでいたなんて貧しい芸能者を想像してしまいそうですが、以外や以外、平安貴族や時の権力者に非常に重宝されていました。
なんと琵琶法師はあの世とこの世の橋渡し役だと信じられていたのです。
平安時代音楽を奏でる場面とは宗教儀礼をおいて他にありませんでした。。
音楽の演奏と自然の神秘が結びついて考える様になり、華やかな朝廷儀式では専門の雅楽集団が担いますが、琵琶法師は生や死といった神秘的な儀式の担い手になりました。
怪談話の耳なし芳一が、琵琶法師だったと言う設定も、死者の世界と繋がりがあったと考えられていたのかもしれませんネ。
琵琶法師と神社
そんな神秘的な儀式の担い手となった琵琶法師と縁の深い神社が、滋賀県大津市にある蝉丸神社です。
蝉丸神社とは、逢坂山の周辺に建てられた上社と下社がルーツと言われています。
当初の祭神は、旅人を守護する猿田彦とトヨタマビメでしたが平安時代中期には、蝉丸と言う琵琶法師が祀られました。
この蝉丸が神社の名前の由来だそうです。
なぜ琵琶法師という僧侶が、神社に祀られたんでしょう?
実は明治時代以前は、仏と神が同じ存在だと思われていたため僧侶を祀る神社や神を祀るお寺が、普通にあったそうです。
琵琶法師と逢坂山
元々逢坂山は、琵琶法師がよく集まる場所だったそうです。
一説には、盲目者の集落があったとも言われています。
そんな峠の不便な場所に集落を築いたのは何故?
疑問に思うところですが、中世での日本の峠は異世界とこの世の境目だとみなされていたと言う説があります。
人の暮らす環境にいることが出来ず、でも死ぬことも出来ない、そんな人々が集まる一種の忌み地だったとかんがえられます。
現世と常世の仲介者である琵琶法師の世界なのかも知れません。
居場所を失った人々が最後にたどり着くのが、峠などの境界だったと考えられます。
百人一首 蝉丸の歌
この逢坂山の集落に蝉丸がいたのかはわかりませんが、逢坂山に思い入れがあったのは、確かだと思います。
百人一首に残されている蝉丸の和歌は、逢坂の地を歌っています。
これやこの 行くも帰るもわかれては
知るも知らぬも逢坂の関
これが有名な、都から旅たつ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、出会いと別れを繰り返す、逢坂の関なのです・・・
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この記事は彩図社の「本当は怖い日本の神話」を参照しています
イラスト
このイラストはイラストACと言うsiteにもsakuzaemonで投稿しているのでよかったら観て下さい。
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